石灰岩土壌のネペンテス その2

LABELS: column, cultivation
By b.myhoney - 6月 18, 2022

この記事は2回に分けた記事の後編になります。前編の記事はこちらから。

bijou nepenthes: 石灰岩土壌のネペンテス その1

論文を読んだ雑感

本論文でも冒頭で触れられているように、一般的な植物にとっての石灰岩土壌の困難さを箇条書きにまとめると、主に以下のような形になるでしょうか?

  • 鉄やマンガンなどの微量要素は高pHにより溶解度が低下し、根から摂取しにくくなる
  • リン酸がカルシウムイオンと結合して欠乏する
  • 水持ちの悪い、乾燥がちな土壌

こういった性質から、石灰岩土壌では植物の生育が妨げられた結果、疎らで低木な植生になりがちですが、逆にそのような環境でも生育できるように適応を遂げた種は、他の植物との競争を避けることができる、と。

石灰岩に限って生育するネペンテスはこのような生存戦略から、いわば逃れるような形で石灰岩上に活路を見出した種が多いのではと思います。実際、前の記事で「偏性好石灰岩植物」と訳させてもらった、石灰岩に選択的に生育するobligate calcicolesというグループは、特定の石灰岩地帯のみに局在する地域固有種が多く占めていることに気が付きます(N. northiana, N. mapuluensis, N. campanulata, N. faizaliana。超苦鉄質土壌でも報告されたN. boschianaも、分布は極めて局所的とされます)。

 


石灰岩土壌に生育するN. northiana (Wikipediaより)

これらのネペンテスが、過酷な石灰岩土壌に適応して、他の植物との競争を避けることでそのニッチな環境での繁栄を享受できたとすると、その大きな成功要因は恐らくピッチャーの存在にあったと思います。

石灰岩の崖に根を伸ばすのは普通の土に根を張るのと恐らく勝手が違って、常に根から給水できるとは限らず、ドライアウトのリスクにさらわれます。霧や雨水をピッチャーに貯蓄し不足時に使用することは、石灰岩のような土壌での生存可能性向上に繋がりそうです。実際、N. northianaやcampanulataなどの自生地として、「いつも濃霧が立ち込めた石灰岩壁の…」みたいな描写がされがちですし、ピッチャーが根の機能を一部肩代わりし空中湿度や雨を利用するようなリスク分散を果たしているのではと思います。そういう目で見てみると、N. northianaやN. boschianaの大きなピッチャーはいかにも水を貯めそうですし、N. campanulataのベル型ピッチャーは効率よく水分を集める最適解のような形状をしているようにも見えます。


石灰岩土壌に群生するN. campanulata (Photo by Ch'ien C. Lee氏)
その他素晴らしい写真がこちらのブログにあります
 

 また、過剰カルシウムイオンによるリン酸の吸収阻害も、ピッチャーでの捕虫により対応することができます。そもそも食虫植物って「貧栄養の土壌でも生き残るために虫から窒素やリンを吸収して~」という説明がまずされがちなところをみても、これはイメージしやすいピッチャーの使い方ではないかと思います。

obligate calcicoles(偏性好石灰岩植物?)はこのような特殊な環境下で、長い間、他種との競争や種間交雑がほぼなく独自性を発達させてきた種たちであると想像すると、栽培において慎重になるべきポイントがいくつかありそうです。具体的には、用土は水捌け良くしなるべく停滞水がないように、そして空中湿度は高く、もし乾く場合はピッチャーに水を入れてやるとよい、みたいなイメージでしょうか?そして、元々土壌に少ないミネラルや栄養分の過剰な摂取には注意、といった感じでしょうかね。施肥には注意が必要そうです。

一方で、「通性好石灰岩植物」とひとまず訳すことにした、石灰岩でも/そうでなくても生育可能なfacultative calcicolesというグループの種名を眺めると、こちらはやや事情が異なるのでは?と個人的に思います。

facultative calcicolesには、N. reinwardtianaやN. albomarginata, N. gracilis, N. mirabilis, N. veitchii, N. stenophyllaなど、広範な範囲に渡って生息が知られる種の名前が多いことに気付きます。中には、ボルネオ、スマトラ、スラウェシからマレー半島など複数の島々に分布を延ばし、現地では雑草のように扱われる種も見られます。これらの種類は、逆に強靭な生育力と適応力から、石灰岩土壌「でも」生きることができるたくましい種類のネペンテスなのではないか、という気がしてなりません。強健種とされる種が多く、obligate calcicolesよりも用土や環境をあまり選ばず適応する力が高いようなイメージがこれらの種にはあります。それでも、中には用土の過湿を嫌うとされる種は確かにいくつか含まれていますよね。

加えて、一口に石灰岩種といっても、実際には石灰岩に生える苔や藻類に根を下ろす着生種というパターンも想定されるわけですし、石灰岩上に別の砂や岩石が堆積して石灰岩の影響が弱まっている土壌もあると思われます。その辺は、究極的に言えば実際に自生地を見ないとわからないですし、もっと言えばその個体が採取された地点の様子を実際に観察した人でないと分からないので、そこまで厳密な対応は現実的ではありません。

以上のことを総合して考えると、「石灰岩土壌のネペンテスはどう育てたらよいの?」という問いへの私の推測としては、「種によって異なる」という身も蓋もないものになりそうです…(笑)

ただ、排水良く植えて根腐れを避ける、という大方針は当てはまる石灰岩種が多そうな予感ですので、用土のチョイスと灌水に気をつけつつ、植物の様子を注意深く観察する、という基本を大切にすると良い感じですかね。

もう一つの参考になりそうな資料

石灰岩地域のネペン栽培に対するもう一つの参考にできそうなページを補足的に紹介します。地生蘭栽培が趣味という質問者が、石灰岩上の有機物に根を伸ばすタイプの地生蘭の栽培環境について専門家に質問したものです。

石灰岩地帯の植物について。

https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=230 

(2009年07月03日)

【質問】
質問者:   その他   mie
登録番号0230   登録日:2005-04-12

はじめまして。よろしくお願いいたします。

趣味でいくつかの熱帯性の地生蘭を栽培しております。

何でも自生地では石灰岩の上に堆積した少しの腐葉土や水苔に根を伸ばして生育しているとの事なのですが、実際こういった植物が生育している土壌のpHはアルカリ性なのでしょうか?もしくは腐食質から酸性なのでしょうか?
相反した要素を持った所に自生しているようで栽培に悩みます。

また一方で、土壌中の無機塩類を嫌うとの事です。
となると土壌は酸性であるということなのでしょうか。

実際のところ、石灰岩地帯に生息する植物は、どういった植物生理学的な特徴を持っているものなのでしょうか?

不躾な質問ではありますが、よろしくお願いいたします。


【解答】
mieさん

こんにちは。蘭の栽培が趣味なのですね。石灰岩地帯の腐葉土やコケに生えている地生蘭というと、マコデスかなにか宝石蘭の類でしょうか?その類でしたら、石灰分の有無を気にしなくても、ガラス瓶に入れ、水苔単用で植えれば結構機嫌良く育ちます。水苔はほとんど無機塩類を含まないので、栽培に好適ですね。このように、普通は石灰のことを考慮しないでも大丈夫です(ただし中には、石灰を好む種もあることはあります)。この時、無機塩類を多くするとよくないのは、もともと貧栄養(カルシウムイオンばかりで、無機窒素やリンなどがほとんどない)な石灰岩地帯に適応してしまったからで、富栄養の時に節制できないためです。基本は上述の通りですが、実際の栽培に関しては、ケース・バイ・ケースというのが、本当のところでしょう。

一般に、石灰岩地帯で目立つ植物には、アルカリ環境に対する性質で言って2通りのものがあります。1つは、石灰質を本当に好む種です。この場合は、アルカリ環境あるいはカルシウムイオンがあると生育が促進されます。ホウレンソウみたいな植物ですね。もう1つは、アルカリ環境あるいは高濃度のカルシウムイオンが好きというわけではないが、それに耐える能力が優れている、というタイプです。この場合は、過酷な環境でも生育できるという特長を生かして、他の植物との間の競争を避けているわけです。何しろ固着生活をしている植物という生き物にとって、他の近隣の植物との間の競争は、極めて深刻な問題です。それを避けることさえできれば、少しくらい住みにくくても良いわけですね。それで面白いのは、渓流沿い植物というものです。拙著『植物のこころ』(岩波新書)に少し紹介していますので、良かったら読んでみてください。川沿いの水を浴びる環境に適応して葉が細くなった植物のことで、他の植物が入り込めない激流の周辺で反映していますが、決して競争の激しい森の中には入れません。盆栽に好まれるサツキはその一つです。

一方、話を戻して、石灰岩地帯の植物について言えば、私の経験では、こういう例があります。東南アジア熱帯の石灰岩地帯に生えるモノフィレアという植物(これは蘭ではなくイワタバコ科です)の場合、自生地では鍾乳石からの滴りのみで暮らしています。この滴りは、測定してみると、炭酸カルシウムの飽和水溶液に相当し、普通の植物は到底耐えられません。試しにシロイヌナズナという実験植物の種を播いてみると、このような条件下では、双葉が出ると共に枯れてしまいます。そんな環境でもモノフィレアは元気に暮らしていますが、栽培してみると、石灰もアルカリも一切要求しないのです。このように、栽培条件下のように、他の植物との競争をしないで済む場合は、わざわざ石灰分を与えなくてもよいことも多いわけです。実は、石灰岩地帯に限らず、特殊環境に暮らす植物の中には、特殊環境が好きなわけではなく、特殊環境に逃げ込んでいるだけ、というものが少なくありません。そういうものの場合は、栽培条件下では、ごく普通の土壌とごく普通の肥料を与えれば、自生地以上に元気に育つこともあるわけです。

なお蘭の中には、蟻と共生して、蟻に周りの環境を酸性にしてもらい、それに依存して暮らしているものも知られています。こういうものの場合は、栽培する場合も、土壌を酸性にしておかないと機嫌が悪くなるようです(拙著『蘭への招待』<集英社新書>にごく簡単に触れてありますのでご参考になさってください)。

こんな所でお答えになったでしょうか?植物を栽培する場合、自生地の環境を実際に目にすることは大事ではありますが、それに縛られてしまうと、本当の植物の欲求を満たせないこともあります。ご留意下さい。

基礎生物学研究所
塚谷 裕一  

 

このQ&Aに対する雑感

この解答もけっこう大事なことを言っている気がします。要所だと私が思ったところを抜粋して要約するとこのようになりました。

  • 普通は石灰のことを考慮しなくてもよい
  • ミズゴケはほとんど無機塩類を含まないので好適(無機塩類が多いと富栄養に対応できない種も)
  • 中には石灰を好む種もあることはある(石灰地帯の植物は、本当にその環境が好きな種と、耐える能力に優れる種の大きく2通り)
  • 実際に栽培してみると石灰やアルカリを要求せず、自生地以上に元気に育つ種もある
  • 自生地を見ることも大切だが、それに縛られず植物自体を見ることも大切

これを見ても、石灰やアルカリ環境、カルシウムイオンなどを特別意識しなくてもよく、富栄養にならないように注意と書かれています。

ネペンテスの場合はホウレンソウとは異なり、好き好んで石灰環境にいるのでなくて生存戦略的に強いられている/耐える能力を身に着けたという方が多分近いので、競争の心配がない栽培下で石灰質から解放してあげて、普通に鹿沼土やミズゴケなどで乾き気味に育てれば自生地以上に健康的に育つ可能性もあるかも、ということかなと。

まとめ

やはり結局のところ、「自生地を念頭に置くことは大切だけども、それに引っ張られすぎず、植物をよく観察することが大切」というところに行き着く形になりそうです。これはきっと大事な教訓。

これは、恐らく石灰岩土壌のネペンに限らず、N. rajahやN. burbidgeae, N. villosaなどのボルネオ系、N. attenboroughiiやN. palawanensisなどのパラワン系、N. peltataなどのミンダナオ系の、数々の魅力的な超苦鉄質岩の高山系ネペンにも当てはまるはず。わざわざ土壌にマンガンや鉄、クロムなどを混ぜ込むなどの苦行をさせずとも、日本が誇る火山系砂利用土の鹿沼土単用や、あるいはパーライトなどを混ぜて植え込んで普通に育ててあげればよい、と。

bijou nepenthes: Nepenthes burbidgeae BE-3848 'Pig Hill' 行く末を見守る

bijou nepenthes: Nepenthes palawanensis (seed grown) BE-4013

自生環境を知る努力をしつつも、野生と栽培下の違い(競合の有無、土の体積が無限/有限などなど)を理解して、植物と会話をしながら環境を作り込んでいくみたいな姿勢が持てれば、一人前の栽培家に近づけるのではないでしょうか。偉そうなこと言いました。

長々と2回に分けたエントリを最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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